10月1日から通常に保育に戻ります。しかし、これからは新しい保育の方法を考える時期がやってきたと思います。もちろん保育所保育指針や高校生までの3つの柱に向かっていく子どもたちの教育に関しては変わりませんが、幼児教育や学校教育の例年通りはなく、子どもたちに関わる皆が感染防止を踏まえた上で考え工夫していかなければなりません。子どもたちの為に子どもたちが主体となるできるだけ安心できる環境を出来るだけ作り出すよう心も頭も身体も全てのアンテナ張り巡らせて行こうと思います。
年長の男の子がすごく怒って決意を訴えてきました。「年長組だからもうすぐ保育園にこられなくなるし、なでしこ組でなくなる。だから僕はなずな(0歳児)組からやりなおす。決めた。」とのこと。
大きな人側から「ランドセルも買ったでしょ。1年生になるって楽しみに話してくれていたからのに、ランドセルどうするの?」と聞くと「外国に困っている人がいるから送る」と自分の思いと考えを自分の中でまとめた決意を頂きました。0歳からの積み重ねでしっかると年長としての育ちが感じられる出来事でした。目の輝きとエネルギッシュなオーラを感じ、未来をしょって立ってくれそうで期待しています。
でも、順番と戻れない時間は代えられないので、まずはランドセルしょって学校でたくさんの経験をもっともっと積んでお話聞かせてね。学校に期待が持てるように有子さんも影ながらアプローチして応援していきますね。
コロナ禍、保育園でもセアカゴケグモ発見。職員で掃除や片付けけ、消毒。、大汗かいて15分おきに水分補給と休息をとりながらみんなで頑張りました。最後に専門の消毒屋さんに依頼し、園庭からすべて仕上げの消毒をしてもらい完璧です。ほんとうに毎日いろいろなことが起こりますが、まだまだ私たちは日々できることを地道に積み重ね、存分子どもたちを抱っこできる日を楽しみに大きな事より小さな笑顔を大切にしていきます。
コロナという言葉に皆が慣れすぎてるのか、人流を減らすという言葉があまり浸透していないのか、陽性者が減りません。
コロナに関しての情報がいろいろ飛び交ったり、変化したりで不安になる方も多いですね。また、後遺症についても心配です。いつまで後遺症が続くのか等、考えると子どもたちも同じような後遺症を一生抱えたらなんて心配性の私も職員も出来ることを一つずつ見つけ行いながら、今できる経験をコロナの中で行っていこうと思っています。
当法人理事長の間山有子は6月13日より7月7日までの期間、脊髄腫瘍摘出のため「亀田総合病院」に入院及び手術を行いました。
15日の手術で腫瘍の全てを取り除くことができましたが、術後は四肢の麻痺もなく順調に思われましたが、激しい頭痛が治まらず1週間後「髄膜炎」の疑いで1日12本の点滴と痛み止め投与を繰り返しました。頭痛は夕方から夜間に激しさを増します。飲み薬での痛み止めはほとんど効きませんでした。痛みが究極になるところで筋肉注射を打ちます、即効性はありましたが持続時間は4時間程度です。痛みとの戦いの2週間、痛みに強い有子さんがこれまでとは、コロナ騒動から少し遅れて非常事態宣言でした。
担当医の先生方が様々な見地と経験から当初より積極的に動いていただいたこともあり、継続的少量の出血(髄膜が癒着する体質もあり、付着した腫瘍を剥がしたことによる)が髄膜内に溜まり血腫ができたことにたどり着きます。髄膜は脳にまで及ぶため出血した血液は頭部に流れ込み慢性的な「くも膜下出血」と同じ状態を引き起こしていた訳です。また背中での出血は腰部で血腫となり再び脊髄を圧迫しており、四肢麻痺の危険もありました。
そのため29日に腰部の血腫除去と背部の止血のため緊急手術となりました。2度目の手術で頭痛も軽くなり、徐々に歩行もできるように回復しております。
主治医の判断と本人の強い希望で(保育園が心配で仕方ない)7月7日に亀田総合病院を退院いたしました。現在は本来自宅療養とするべきですが、背中の痛みをこらえつつ半日出勤しております。(誰も止めらるません)
保育園に通う児童及び保護者の皆様には、約1ヶ月の間、行き届かない点や配慮のかけた点などご迷惑をお掛け致しました。
そして今回お世話になった亀田総合病院の主治医の先生方、様々な視点から考察し行動していただきました。各課の連携の良さスピードは本当に見事だなと思いました。また日々必ずお顔を出して話をしていただけることに安心でもありました。ありがとうございました。
もう一つ今回の手術入院で最も感謝したい方々はk棟6階の看護師さんです。正直技術的なことは苦手な方が多かったように思えますが(すみません)、何とかしてあげたい、自分のできることをしてあげたいの気持ちをたくさん感じました。保育園でも泣いている子に何をするわけでなく直ぐそばに寄り添う子がいます。近くで気持ちを汲んでくれること、分かってくれることって安心なんですよね。本当にありがたかったです。感謝!
亀田総合病院の皆さんから大きな家族は学ぶことが多かったように思います。私たちも日々未来を創り出す子どもたちを第一に考えるように努めてまいります。
冷たい雨が降る夕方、街のスクランブル交差点での出来事です。一人の盲目の若い男性が白杖をつき交差点を横断しておりました。夕方と言いましても11月、あたりはすっかり日も落ちて真っ暗です。交差点は帰宅を急ぐ人々で溢れてました。
盲目の若い男性は人々の後のほうを歩き、間もなくすると信号機は点滅し始めました。運悪く雨のラッシュ時ということもあり交差点の中に取り残されたままの車が2台ありました。男性はあるべきはずのない2台の車に戸惑い、行く方向を見失って交差点内を行ったり来たりしてます。とうとう信号機は赤に変わってしまいました。
男性は交差点の中です。行き交う人々は気づいているのかいないのか、おかまいなしで家路を急ぎます。遠くから見ていた私はハラハラするばかりで、なすすべもありませんでした。
そこへ初老のコートを着た男性が盲目の彼の方にそっと手を伸ばし、交差点の外に誘導したのでした。強く手を引くではなしに、また慌ててでもなく、とても自然に肩に手をかけたのでした。盲目の彼がどれだけにホッとしたことか、初老の男性のとっさの配慮に感動して目頭が熱くなりました。本当にありがとう。
(ゆう子さんのつぶやきですが、最近は私P先生がつぶやいてます。期待されている方ごめんなさい)
保育の中での過去の神話です。
「3歳までは母親が育児する」は相当昔の神話です。しかし未だに祖父祖母の代では信じている方も多く、母たちを苦しめている場合もあるようです。
「抱き癖がつく」はこれも少し前まで信じていた方も多いようです。乳児は肌と肌をふれあい要求にしっかり答えることが大切です。何歳になっても抱っこして欲しいなら答えてあげるべきです。
「早期教育」は乳幼児は興味関心あることを驚くほど覚える時期でもあります。しかし、ほとんどが一過性であり、たとえば早い時期に文字を教えても小学校入学時点では優位であっても、時がたてば教えられないグループと変わるなく育つようです。むしろ強制的に覚えこまされたことにより意欲や関心がなくなり、学習することを妨げる結果にもなるようです。
「幼稚園は教育、保育園は保育」は未だに教育熱心な家庭に多く考えられている神話です。幼稚園の教育要領も保育園の保育指針も所轄が異なるものの書いてあることはほとんど同じで、それに沿って運営されています。そして現代では今まで重要とされてきた知識の習得よりも生きる力。つまり人同士の協調や協力、やり抜くこと、興味関心を広げること、ときに我慢すること、思いやり等そんな人間らしく生きる力を育むことが必要とされる時代に変わってます。これは従来の一斉教育つまり皆が同じ時間に同じことをするではなく、多様な創造を働かせ思い切り遊びぬくこと、放任とは異なる自由な遊びの中から生まれることが分かってます。ピアノの音で席に着き、一斉に歌い一斉にキャンバスに向かい絵をかき、英語の時間に決まった挨拶をする。そんな幼稚園保育園は子どもはレールに敷かれてやらされているばかりで、考えることをやめてしまう、指示待ちの子どもが育つことにまります。幼児期の教育とは教えるのではなく、自らが育っていけるように支援する環境を整えることです。ですから保育の中に教育はあると考えてください。
大きな家族の皆さんには当たり前過ぎましたか?今更ですみません!(パパ)
休みの日、久しぶりに都内へ出かけることとなった。都内へは研修などでは度々訪れるものの、遊びに行くのは若かりし日の思い出ばかりであった。楽しいことをたくさん考えて、いざ渋谷へ参る。
私たちは案の定人ごみの流れに圧倒されてしまう。駅に沿った場所に新たにショッピングモールができていた。私はいつもお世話になっている園長がきっと喜び購入したくなるようなものを見つけ写メで送ってみる。
それなりにウィンドショッピングを楽しんでから街中を散策した。人の流れに任せながら歩いていると、いろいろな言葉が耳に入ってくる。「あー明日学校1限からじゃん。やってらんねいなー」「いやなら無理してまで行くな。辞めちまえ」私は無意識に口走ってしまったが、雑踏にかき消されて、相手には聞こえない。
あちらこちらで交わされる意味のない話、考えのない薄っぺらい会話が私の心を傷つける。あーだからハロウィンで車の上で踊るんだな。涙が止まらない。もはや音楽ともいえない爆音が鳴り響いていた。
(帰りの車でも、ゆー子さんはご機嫌斜め、きっとこんな気持ちだったと思うんだ)
ある学童保育を運営する団体の朝食での出来事。低学年児が食べ終えた食器を片づける際に誤って転んでしまい、残飯を床にばらまいてしまった。
児童が床に落ちた残飯をあわてて手づかみで片づけ始めたが、誰一人手を貸す者はいない。転んだ場所の近くで団体職員が集まって食事をしていたにもかかわらず、見て見ぬふりであった。
キャンプの目的に「自分のことは自分でやろう」とあるからか、職員すべてが動く気配なしである。観るに見かね私はおせっかいにも雑巾で一緒に拾い集めた。それを見て慌てて職員の女性が動いた。「どうもすみません。〇〇君ありがとうございますでしょ」「……」
はたしてこのキャンプからこの子は何を学ぶのだろうか?自立以前に人の冷たさや見て見ぬふりの仕方を学ぶことにはならないだろうか?
ありがとうの強要にも疑問が残った、人の温かさに触れ、感じた結果がありがとうになる。こういう場合はきっとありがとうって言うんだではかなり違うと思う。私は寂しさを感じずにはいられなかった。(パパ)
昨日、いろは保育園の年長さんが小倉台いろは保育園に来て運動会の合同練習をしました。日頃からやっているヨガを上手にアレンジして自分たちで声を掛けて練習している姿に思わず、小さかった頃の姿を重ねて目頭が熱くなりました。
そして、テラスで年長合同のランチ。おやつまで一緒に食べ、「次回の練習また来るね!」と別れる姿はまるで大人そのもの。
子どもたちの社会しっかりできているでしょう!と大きな声で自慢したくなりました。さすが、大きな家族!